山県 太一先生、岡本 寛之先生

山県 太一先生、岡本 寛之先生

名古屋中央支部に所属する先生方にインタビューするこの企画。第38回目は、名古屋市中区にある「丸の内司法書士事務所」の山県 太一先生と岡本 寛之先生のダブルインタビューです。

 

ーー子どもの頃の夢はなんでしたか?

 

山県先生:特撮に憧れて、スタントマンとしてジャパンアクションクラブに入るのが夢でしたね。

 

岡本先生:小学校の頃に劇団に入っていたので、舞台役者になりたかったですね。

 

山県先生:そうなの? 初めて聞いた(笑)

 

ーー学生時代や前職について教えてください

 

山県先生:体操部と情報科学部の両方がある大学を探していて、福島県から愛知の大学に進学しました。

 

岡本先生:高校時代からのバイトの延長で、17歳から34歳までファミリーレストランで働いていました。店長として10年、次はSV(スーパーバイザー/地区マネージャー)というところで、このまま長く飲食業界で働き続ける未来を描けなくなり、退職しました。

 

 

山県先生:大学卒業後は名古屋市の出版社で8年、そのあとは某システムメーカーで市町村役場に対して戸籍システムの営業をしていました。そのときに法律の大切さを知ったことで、今につながりますね。

 

岡本先生:僕はもともとサラリーマンには向いていないんですよ。だいたい学生時代から団体行動が苦手でしたもん(笑)

 

ーー司法書士を目指したきっかけはなんですか?

 

山県先生:当時営業マンとして売っていた戸籍システムは、他社より金額が高いのにシェア率がナンバーワンだったんです。なぜかと言うと、会社側が技術を持っていたのはもちろん戸籍法を熟知していて、自治体からの絶大な信頼を勝ち取っていたからです。法律を知っているのって大切だなぁと思いました。私自身も役所の仕事を知るうちに、住基ネットワークや生活保護システムなど、世の中はこうして回っているんだという気づきがありましたね。

 

岡本先生:20代までは飲食の仕事がとにかく楽しかったんです。でも30歳を越えた頃から将来について思い巡らせるようになって、責任が重くなってしまう前に辞めよう!と、次のことは考えずにスパッと辞めました。

 

 

山県先生:僕も30代前半でしたね。自分がつくったものを売るのってシンプルでいいなと思って、法律に関係していて自分の能力を売る「士業」を目指すことにしました。仕事を辞めて1年くらいは、オーストラリアに短期留学に行ったりと自由にしていましたよ。

 

岡本先生:僕も同じく2年くらい道楽をして過ごして、どうせなら難しい資格を受けてやろうと本屋さんで調べてみたら、公認会計士か税理士か司法書士か……算数が好きじゃないから司法書士かなと(笑)そもそも司法書士が何をしているのかも知らなかったんですけど、参考書を見てみたらとてもじゃないけど一人では無理だと思って、学校に通うことにしたんです。

 

山県先生:そして、資格の専門学校で出会ったということになりますね。

 

ーーお互いの第一印象は?

 

山県先生:半年くらい経って初めて話しました。2人ともいつも一番前の近い席で授業を受けていたんですよね。

 

岡本先生:多分年齢が同じくらいで、Tシャツに短パン、スニーカーで来ていたので「何者だ?」と思っていました。初めて話した時に「仕事を辞めてきた」と言うから頭おかしいと思って。

 

山県先生:あなたも同じでしょう(笑)実際は、昼間は予備校近くの会社で働いていたので、着替えてから夕方の講義を受けていました。

 

 

ーー試験までの道のりを教えてください

 

岡本先生:そのとき僕は仕事をしていなかったので、昼間は勉強時間に充てていましたね。ただ、まず漢字が読めない、言葉がわからない。

 

山県先生:難しいよね。でもやるしかないなと思っていました。司法書士以外思いつかなかったし、転職しても同じことの繰り返しだと思って。

 

岡本先生:専門学校は生で授業をしてくれる講義が魅力だったので、授業は楽しかったですよ。最初に40〜50人いた生徒さんがだんだん減って、最終的には10人くらいになってましたけど……。

 

山県先生:岡本先生は成績優秀だったので、2期目の学費がかなり安くなっていたよね。僕も最初の試験は思ったより悪くなくて、3年くらい頑張ったら受かるんじゃないかと勘違いしてしまいました。なかなか受からず、途中で福島に戻って勉強に専念して、7回目で合格できました。

 

岡本先生:僕は11回目で合格です。本番に弱い(笑)あの会場の空気は二度と味わいたくないですね。最後の1〜2年はほとんど勉強せずに、補助者として司法書士事務所で働きながら受験をしました。

 

 

ーー司法書士の勉強について

 

山県先生:試験内容がここまで実務に直結している資格って、他にあまりないんじゃないかなと思いますね。

 

岡本先生:勉強したことが100%役に立つんです。試験の内容がそのまま現実になる。実務の参考書もたくさんあるけど、受験時代の過去問を見た方が分かることもありますよ。

 

ーー合格後について

 

山県先生:僕は岡本先生に一番に報告しましたよね。まずは事務所で経験を積んでから独立をと考えていたので、3年ほど信じられないくらいの件数をこなしながら働きました。

 

岡本先生:僕は、山県先生が独立した頃に合格しました。「全然仕事がない」と言っていた頃です(笑)

 

山県先生:そうだったね(笑)そこから軌道に乗って今の事務所に移転するときに、ちょうど岡本先生が独立するタイミングだったので声をかけました。予備校時代、ふざけて「いつか一緒に事務所やったら面白いね」とは話していたので、まさか実現するとはという感じです。

 

岡本先生:2022年夏にこの事務所を設立して、2年目に突入しました。

 

 

ーー事務所の雰囲気はどうですか?

 

山県先生:お互いに新築や不動産売買などの登記がメインではあるけど、それぞれ別々の動きをしています。だいたい活動時間が全然違うんですよ。

 

岡本先生:僕は朝5時台に出社して、山県先生は朝はのんびりで夜は遅くまで。同じ事務所にいてもあまり会わないですね。

 

山県先生:夕方からエンジンがかかってくる(笑)朝方人間と夜型人間がうまくカバーし合っている事務所ですね。

 

ーー司法書士のやりがいは?

 

山県先生:やっぱり感謝していただいたときですね。

 

岡本先生:他の弁護士事務所や司法書士事務所で散々断られた案件を受任して、無事に完了したときに喜んでいただいたことが印象深いです。

 

ーーオススメの本を教えてください

 

 

山県先生:【実務解説 遺言執行】先輩に「執行のことを考えて遺言書をつくらないといけない」と言われて、納得して購入した一冊です。

 

岡本先生:【鏡の法則】簡単に言うと、人を許しましょう、人は許すしかできないという内容です。普段から本を読む機会が多いんですが、これはなるほどと腑に落ちました。

 

山県先生:じゃあ僕が何やっても許してくれ(笑)

 

岡本先生:許しているでしょう。

 

ーー趣味はなんですか?

 

山県先生:スポーツ全般ですね。ゴルフもサーフィンもマラソンも……毎日のようにジムに行っていたこともあります。いまは大人の体操教室に行きたいですね。野球やサッカーと違って、バク転や体操ができる場所って実はあんまりないんですよ。

 

岡本先生:僕は車と服が好きです。今乗っている車はプラド、服は仕事服も含めてハリウッドランチマーケットでしか買わないですね。

 

ーー今後の目標は

 

山県先生:やっぱり不動産登記はもちろん、色々な分野で社会の役に立てる事務所でありたいですね。業務外のことも他の士業と連携しながら、解決策を導き出していきたいです。

 

岡本先生:勝って驕らず、負けて腐らず。ですね。

 

山県先生、岡本先生、ありがとうございました!

 

取材/テキスト ライターチームマムハイブ(https://mamhive.com)

インタビュアーより

予備校時代からの同級生で、年もひとつしか違わないという山県先生と岡本先生。経歴も趣味もタイプも違うからこそ、お互いを尊重しあい、良い関係性が築けていることが伝わってきます。不思議なバランス感でありながら、依頼人にしっかり寄り添う想いを共有しているおふたりの先生でした。

※インタビューの内容は2023年10月取材時のものです。最新の状況は事務所に直接お問い合わせいただくか、司法書士名古屋中央支部へお問い合わせください。

 

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司法書士名 山県 太一先生、岡本 寛之先生
所属事務所 丸の内司法書士事務所
住所 〒460-0002
愛知県名古屋市中区丸の内3丁目5番35号 弁護士ビル 503号
電話番号 052-908-9330
WEBアドレス https://marunouchi-shihou.com/

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