志水 秀道先生
名古屋中央支部に所属する先生方にインタビューするこの企画。第34回目は、名古屋市中村区にある「司法書士 しみずパートナーズ」の志水 秀道先生のインタビューです。
ーー小さい頃はどんなお子さんでしたか?
勉強はやらない、落ち着きがない、通知表は1と2ばかりでした(笑)。母は優しく見守ってくれていましたが、銀行員の父は厳しかったですね。
中2になって進学先を考えたとき「このままではまずい!」とようやく勉強しましたが、高2でバンド活動を始めてから大学時代までバンド漬けの日々でした。
本気でプロを目指して活動していたので、このあたりのライブハウスにはだいたい出演しましたね。ただ、コンテストとなるとどうしても全国大会には上がれない…「21歳になってデビューの話がないんだったらもう無理だな」と、夢への踏ん切りがつきました。
ーー大学卒業後について教えてください
大手家電メーカーに就職したんですが、いわゆる組織的・企業的な振る舞いをする上司や同僚を目の当たりにして「こんな所にいるなら死んだ方がまし」と、1年半で退職しました。
当時は親や親戚、友人たちに「もったいない」と言われ続け、学校や世間が評価している環境が向かない自分は「社会的に出来損ないなのか?」としばらく悩みましたね。
性格的に自営の方が向いていると分かってからは気が楽です。今の若い方たちが、会社付き合いよりもプライベートを大切にしたい気持ちがよーくわかります。
ーー退職後はどのように過ごしましたか?
退職後、バンドメンバーを集めて「もう一度プロを目指そう!」と再始動しました。そのバンドとは別で二人組のコンピューターサウンドのバンドもやっていたんですが、27歳のときにラジオのオールナイトニッポンのテープ審査でグランプリを獲得したんです。
日本一になったということで、横浜の有名スタジオを借り切ってくれて、本物のバンドセットでデモテープをつくりました。それを各社に送っていただいたんですが、とある大手プロダクションからの返事が「これが21歳だったら採る。でも、これで27歳なら将来性はない」というものでした。
本当に納得してしまって。そうだよな、僕もう27歳なんだなって。さすがだなと思って、音楽活動をきっぱり辞めました。
ーー司法書士を目指したきっかけはなんですか?
音楽関係の仕事をしていたご縁からノウハウを得て、30歳くらいで目黒区で宣伝広告の会社を立ち上げました。ありがたいことにずっと順調でしたが、華やかな業界だからこそ「このまま50歳までやれるのだろうか…」という不安がずっとありました。
そして、なぜか分からないけど「人の役に立つ仕事がしたい!」と思ったんです。それまで、何かの契約を交わすにしても全く内容が理解できていなかったし、甲乙の文字を見るだけで引いてしまう自分が悔しかった。
だから法律の勉強をしたらいいんじゃないかと思ったんです。民間の人の役に立ちたい、直接「ありがとう」と言ってもらえる仕事がしたいと。
そこで調べてみて、訴訟代理権がある司法書士になりたいと思いました。テレビで裁判長と話をしている姿を見て、弱者の味方になれるところに痺れましたね。
ーー試験までの道のりを教えてください
最初に参考書を見たとき「なんだこれは?」と思いました。教科書も最後まで読めないし、試験を受けても問題が最後まで読めない。
だからこそ「こんなに難しいなら受かれば競争が少ないはずだ、食っていける!」と思いました。当時は、なんとしてでも生活レベルを落としたくない気持ちが優っていたのかもしれませんね。
昼間は会社の社長として働きながら、夜間に勉強しました。土日も勉強、仕事があれば仕事…とにかく眠気と戦っていました。ガクッと寝落ちする瞬間の繰り返しを7年も続けましたね。
ーー受験勉強や試験でのエピソードについて
学校には通えないから通信をやっていたけど、それもどんどん溜まってくる。すでに結婚していたので、家族とディズニーランドに行っていても、乗り物の待ち時間には過去問の録音を聞いていました(笑)
不動産関係の仕事をしている親族からは「働きながら司法書士試験を目指すなんて絶対に無理!」とも言われましたが、本には「兼業でも資格取得ができる」と書いてあったので、信じて勉強を続けました。みんなこんな苦しいことをよくやっているなぁと思っていたら、その年、きちんと仕事をしながら合格したのは2人だけでした(笑)
商社に務めていたその方は本当に人柄の良い方で、話が合って、一番仲が良かったですね。
ーー合格後について
東京での生活に疲れ切っていたので、愛知に戻ることにしました。会社の権利はすべて信頼できる方に売って、40歳で念願の司法書士人生のスタートです。
フリーの立場で、不動産に強い会社や商業登記に強い会社などで経験を積んで、3年の約束で入った会社に7年勤めて、いまの事務所で独立しました。
合格まで波乱万丈でしたが、これまでの全ての経験がいま生かされていて、これまでの苦労を考えると、いまは本当に安らかに仕事ができていますね。
ーーポリシーや座右の銘を教えてください
義理人情ですね。損得勘定だけで世の中は回っていませんし、お金で動くとロクなことがない(笑)。結局大切なのは人です。
ーー趣味はなんですか?
僕はスーパーカーブームど真ん中世代なんですが、知人に勧められて見に行った先で一目惚れした「ポルシェ981ボクスターS」でドライブすることですね。運転しやすくて乗り心地も最高、お客さんのところに乗って行くと喜んでいただけます。
あとは、仏像鑑賞、神社・寺めぐり、格闘技観戦、娘たちとライブ鑑賞、スーパー銭湯巡りなどですね。
ーーオススメの本を教えてください
般若心経ですね。
実は高1のとき、素行不良で高野山の寺に送られたことがあるんです。僕はもともと仏像が大好きだったので喜んで行きました(笑)
春休み期間も含めて100日、朝5時から正座で梵行、滝浴び、ご飯の支度、トイレ掃除…修行なのでテレビも雑誌もお肉もない、女性もいない。ただ、有名な仏像を毎日拝めて至福だったし、みんなからも可愛がってもらえました。
修行が終わるとき「帰らない!このままお坊さんになる!」と言ったらひどく怒られて「まずは在家で頑張って、ダメだったら帰ってこい」と言っていただけました。その後、バンドに目覚めていなかったら確実にお坊さんになっていたと思います。
そんな経緯もあって、般若心経は体に馴染んでいるし、読むたびに印象が変わるので深いなと思います。
ーー今後の目標は
昔は、何でもできないことをできるようにするのが楽しかった。でもいまは、できることをやるだけで十分だと思えます。これまでちょっと頑張りすぎたんですよね。
心を楽にするということは、心を苦しくすることを全部やめていくということ。苦しそうだなと思ったらやめること、できないことはできない。それが自分にとって一番楽しいです。
組織に属さず気楽にやっていきたいと思って、せっかく頑張って試験に受かったんだから、これからもストレスフリーなこのスタイルで続けていきたいですね。
志水先生、ありがとうございました!
取材/テキスト ライターチームマムハイブ(https://mamhive.com)
インタビュアーより
高校生で寺送り、大手企業を退社、バンドで日本一、目黒で社長、仕事をしながらの司法書士試験…とドラマのような波乱万丈なエピソードを次から次へとお話してくださった志水先生。「できることをやるだけで十分」というメッセージは、走り続けてこられた志水先生ならではの言葉だと感じました。
※インタビューの内容は2023年4月取材時のものです。最新の状況は事務所に直接お問い合わせいただくか、司法書士名古屋中央支部へお問い合わせください。
◆あなたもインタビューを受けてみませんか?◆
中央支部の会員さんのなかでインタビューをご希望される方、「この会員さんのインタビューが見たい」という推薦をいただける方がいらっしゃれば、お気軽に中央支部までご連絡をお待ちしております。
(希望者多数の場合、ご希望に沿えない場合もございますのでご了承ください。)
司法書士名 | 志水 秀道先生 |
---|---|
所属事務所 | 司法書士 しみずパートナーズ |
住所 | 〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅5-31-10 リンクス名駅ビル6F |
電話番号 | 052-856-9551 |
WEBアドレス | https://www.shimizu-partners.jp/ |